手を洗う救急医Taka(木下喬弘)氏(以下、Taka氏)が以下の発言をしました。
私の知る限り闇雲な検査に反対している医療従事者のほとんどは、もうずっと「検査自体に反対しているわけではない」と主張し続けています。
落ち度がないというつもりはありませんが、いつまでも「検査抑制派」という不適切な表現を用いている方々の方が、対立を深めている責任は大きいと思います。
— 手を洗う救急医Taka(木下喬弘) (@mph_for_doctors) January 8, 2021
「落ち度がないというつもりはありませんが、いつまでも『検査抑制派』という不適切な表現」ということは、過去に自分が「検査抑制派」と呼ばれても仕方ないことを言った、という自覚があるんですかね?
「落ち度があった」という自覚があるなら、それを撤回しない限りはその後もそれが付きまとうのはある程度仕方ないことだと思いますが。
とりあえず、どういう人が「検査抑制派」なのか、個人的に考える例を挙げてみます。
「偽陽性が出るから検査対象を広げるべきではない」と言う人
「事前確率が低いと特異度99%で陽性的中率が低くなる」という主張
コロナPCRの検査前確率0.5%、感度70%、特異度99%で計算したら、陽性に出た人のうち本当にコロナに感染している人は4人に1人しかいません。陽性に出た妊婦のほとんどが偽陽性になりますから、これで他施設に移されたり帝王切開方針になるとすると、PCRの害の方が大きすぎませんかね?
— EARLのコロナツイート (@EARL_COVID19_tw) June 23, 2020
これは初期の頃によく言われたことですが、「事前確率が低いと特異度99%で陽性的中率が低くなる」というものです。
それにしては、去年の6月ごろの東京の陽性率は一番低くて0.8%でしたが、それに対する批判はなかった気がしますが。ランダムに検査するよりは相対的には事前確率は高かったでしょうが、絶対的には低い部類なのでは? そもそも、この主張をした人たちはどれくらいが「事前確率が高い」と考えていたのでしょうか?
その後、実際の検査の結果、陽性率が1%を切るものも多く、「特異度99%」は批判されて影を潜めたと思うのですが、Taka氏の発言を見ると、
2つの論点があって、事前確率が低い場合の検査の問題点は偽陽性と費用対効果なので、特異度が決められない問題は置いておくとして、私費検査なら議論の余地はあるでしょう。
それ以上に問題なのは偽陰性の問題で、これは全く我が国特有の議論ではありません。https://t.co/wwXXp09h1K https://t.co/eGpthFjQIK
— 手を洗う救急医Taka(木下喬弘) (@mph_for_doctors) January 8, 2021
2021年1月の段階でも「事前確率が低い場合の検査の問題点は偽陽性と費用対効果」と、偽陽性が問題と明言しています。「特異度が決められない」と言いながら。
「偽陽性が問題」であるなら特異度がどれくらいと想定しているのかなど本人の中ではあるはずですが、それを言うと批判されるからか言わず、なのに「偽陽性が問題」とだけ言う。これは立派な「検査抑制派」ではないでしょうか?
「特異度が99.9999%だとしても問題」という主張
「検査前確率(事前確率)が低い場合には、やはり偽陽性の可能性は特異度がかなり高くてもゼロではない。偽陽性では本当は感染していないのに隔離されてしまう、時に感染のリスクが上がるようなところへ入れられてしまうなど、より人権的に問題になる結果を招くこともある。いずれにせよ、どこまでも問題です」
「偽陽性だと人権的に問題になる結果を招くこともあるから問題」という主張ですが、それなら事前確率が高かろうと問題では?
去年からの累計で、日本だけで500万人以上が検査を受けており、「偽陽性の可能性は特異度がかなり高くてもゼロではない」ということであれば偽陽性は発生しているはずですが、それは問題ではないんですかね。
一度峰氏に聞いてみましたが、回答はありませんでした。
「偽陰性が出るから検査対象を広げるべきではない」と言う人
「感染直後は感度が低くて検出できない」という主張
「感染直後は感度が低くて検出できないから無症状者にPCR検査をしても意味がない」という主張をする人がいましたが、「濃厚接触者で接触した日がわかっているならきちんと間を置いてから検査することになっている」と反論されていました。
「(偽)陰性者がリスクの高い行動を取るから問題」という主張
実際にそういう人を見てきたからなのかわかりませんが、「(偽)陰性者がリスクの高い行動を取るから問題」という主張をする人がいます。
主に自費検査で陰性だった人のその後の行動についてですが、曰く、「陰性という結果を過信して帰省し、友達と飲みに行って感染を広げた」とか、「陰性だからとクラブをハシゴしてクラスターが発生した」とか。
そういう人はいるのでしょうが、これは検査が問題ではないのでは?
「無症状だから」と同様の行動を取る人はいるでしょうし、「20代は重症化しないから」と意に介さない若者もいます。そこらへんの人たちの行動変容を促すいい策があればいいのですが。
「検査の結果によって対応が変わらないのならその検査は意味がない」と言う人
検査が陽性でも陰性でも取る対応が同じ検査は、悪い検査です。臨床医学の基本中の基本。 https://t.co/dQL7HT6xKy
— 岩田健太郎 Kentaro Iwata (@georgebest1969) January 12, 2021
「その人の治療」という点では「陽性だろうと陰性だろうと(無症状であれば)自宅待機」ということで同じなのでしょうが、結果次第でその人の接触者への対応は変わるのでは?
最近は接触者の追跡も難しくなっており、そういう点では検査しても意味がない、というのは理解できますが、保健所に余力があるなら当然検査すべきとなると思います。
「ある国では全国的に検査したがその後感染が拡大した」と言う人
「検査を受けようと人が殺到してそこで感染が広がった」ということであれば問題だと思いますが、そうではないのなら、その検査を受けてどういう対応をしていたのか、それ以外の状況がどうだったのか、というのがないと何も語れないのではないかと思うのですが、「検査を拡大しても意味がない」という結論に至るようです。
まとめ
「検査抑制派」は、非現実的な仮定、暴論、無理な解釈で検査対象拡大の弊害、無意味さを訴える人たち、と言えると思います。
「過去にそのようなことを言ったことはあるが今は言っていない」場合で、「ある時期から言わなくなった」のではなく「明確に撤回した」のであれば、その人を「検査抑制派」と呼ぶのは違うと思いますが。
Taka氏は「必要な検査はすべきという考えだから自分は抑制派ではない」と言うものの、「必要」と考える範囲が狭いようですし、今でも「偽陽性の問題がある」と考えているのでやはり「検査抑制派」という印象が拭えないですね。
※追記
ちなみに、Taka氏はよくHPVワクチンでメディアがどうとか言っていますが、自分のPCR検査についての発言はどうだったのか、よく考えてもらいたいものです。
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